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ゴミの分別

のりまき日記
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本記事は2025年12月13日に投稿した『ゴミ』の派生記事です。

「ゴミみたい」の余波

投稿して間もない『ゴミ』のビューが、他の最新記事に比べてかなり伸びていた。
伸び方が検索やリンクから閲覧されたタイプの記事と似ていたし、少々センシティブな内容の記事でもあったので、気になって少し追いかけてみた。

noteのAさんのページにはそれらしき変化はなく、復活後もつつがなく投稿をされている様子。件の記事も最後に拝見した時とさして変わりはない。
だがスクロールしていくと、運営側が関連記事として表示する「おすすめ記事」に気になるサムネイルが。「自分の書くエッセイを「ゴミみたい」と言われて書けなくなるならエッセイスト無理」というタイトルだけで、Aさんのことだと判った。
これが「おすすめ」に出てくるところが、何というか、皮肉が効いている。

投稿主はフリーランス向けのコンサルティングやnote記事添削サービスなど「好きを仕事にする大人塾」を主催、幅広く活動されている方らしい(仮にKさんとする)。
「記事紹介大歓迎」とあったが、ここでは控える。「ゴミみたい」「エッセイスト」など関連ワードで検索すると、Kさんの記事がトップに出てきたので、実際の記事に興味のある方はどうぞ。

Kさんの記事について

Kさんの記事はタイトル通りの内容が、かなりストレートな表現で綴られていた。字数にして1100字余り。改行も一文を細かく分けて行われ、構成もシンプルで読みやすい。
まとめると

・どのような反応が来ようと書けない言い訳にせず、むしろネタにして書くべき
・無料公開していても、文章や内容が面白ければデビューできる可能性もある
・エッセイストはライターではないので、自分の書きたいことを書けばよい
・その上で評価やお金もほしいのであれば、都度修正しながら書き続けるべき
・どの分野でも、辞める言い訳を他人のせいにする人はいつまでも成功しない

Kさんのご職業柄、強い言葉と大きな声で言うことでマネタイズに繋げる手法かとは思うが、書かれていることはいちいちごもっともではある。
「それ、こっちは思っても言わなかったのに、よく書けたな」と震えたが、KさんからすればAさんの反論、第三者の反応は注目に繋がるのだから、むしろウェルカムなのだろう。
Aさんさえその気なら「何かコラボします?」などと腹づもりされているまである。

だが主旨はともかく「メンヘラ投稿」「かまってちゃん」「腐った心象風景」などという表現は、部外者である筈の自分にもぶっ刺さってダメージを与えた。いやこれはキツイ。
Aさんが目にされたら、今度こそお辞めになるんじゃないだろうかと、他人事ながら心配になった。

誹謗中傷について

「公表している以上、誹謗中傷は受け入れるべき」「辛辣な意見も、その人のためには必要」という考え方は個人的には嫌い。他者に対して偉そうに物申したい人間、攻撃したい人間が体のいい口実にしているように感じる。

それに「誹謗中傷は許されない」という考えが浸透してきた今も、ネット上では大小さまざまな悪口や嘲笑、強い言葉が飛び交っている。言われた人間がどれほど傷ついたところで「悪気はない」「これくらいで」と済まされるケースも多い。
定義が曖昧で各人で異なるものである以上、現状では言われた側が自身で折り合いをつけるしかない。我慢するか、潰されるか、一笑に付すか、プラスに変えるべく努力するか。

同じ言葉を投げつけられても、Kさんは「よっしゃネタゲット!」である一方、Aさんは心を折られる。それは各々の自由で、どちらも間違ってはいない。
だが、どちらの考え方も外に向けてやりすぎると、ご本人にとってもマイナスになりかねない。もっと言えば加害者になる可能性もある。

今回のKさんの記事については、「この程度であきらめるならプロになるのは無理」という主旨は、Aさんがどう受け止められるかは別として、いち意見として頷ける。
だが「誰かのせいにして書くのを辞める言い訳にして同情を誘うその腐った心象風景」などという表現は批判や非難を超え、中傷や攻撃の域ではないかと思われる。流石にこれを提案や叱咤激励と取る人はいない。

境界線

KさんがAさんに対して非常に厳しいのは、Aさんが文筆家を名乗り、プロを目指していたからではないかと思う。「卑しくも書くことを生業にしたいのなら、つまらないことに躓かず踏み台にするくらいの気概を持て」ということだろう。…正しい。

向けられた批判や中傷について、Aさんのような振る舞いが許容されるかどうかは、それが趣味か仕事か、が一定のラインとなるようだ。
今のところAさんは代価を得ていない素人のようだが、チャンスがあればプロにとお考えのようだから、仕事として判断されたということか。

ただ趣味であれ、作品を発表した以上あれこれ言われるのは仕方ないという人もいる。むしろお金が絡まない分、ブログでいえばランキングやコメント数などで嫉妬を向け、陰湿な嫌がらせをしてやめさせようとする人間も存在する。

まともな人であれば、やはり趣味か仕事かで線引きをするのだろうが、易々と踏んづけて越えてくる者もいて、防ぐのは難しい。だからこそ自分が強くあらねばならないのだろう。
その上で誰かに知ってほしい、慰めてもらいたいと思ったら、気持ちをすぐに切り替えられなくても、Aさんのような断筆宣言ではなく、文章にしてそういう反応を引き寄せれば一石二鳥。時間が経てば「お陰で記事が1本書けた」「肥やしにしてやった」と思えるかもしれない。

無名と悪名

Kさんは典型的な「無名より悪名」派にお見受けするが、悪名による屈辱や悪評に耐え、成功に繋げる覚悟と強さが必要となる。
Kさんは他者(Aさん)を痛烈に批判されるだけあり、ご自分も少々のことには動じず、常に強い精神力と向上心を保って邁進しておいでなのだろう。

逆にAさんは「無名から有名に」派のようだ。趣味だろうが仕事だろうが悪名はいらない、という方だろう。ひたすら書いて努力していれば、いつか実を結ぶと夢みるのも悪いことではない。
だが、いわゆる「言霊」「引き寄せ」系なのか、もちろんご本人の自由だが「文筆家」などと名乗らず、ささやかな日常を趣味でゆったり書き綴っている女性、というお立場だったなら、Kさんの批判ももっと柔らかく、そもそもゴミ呼ばわりもなかったかもしれない。
少なくともその可能性は低かったように思う。
とはいえ、別にマネタイズしていなくても「エッセイスト」「文筆家」は名乗ってもよいわけだし、その辺りは難しい。

どちらのタイプが正しいかではなく、向いているかという話。
Kさんの手法や方針は間違ってはいないが、Aさんには受け入れられない。逆も然りということ。
掘り下げると不安遺伝子なども関係してきそう。

ちなみに私は「悪名も有名もいらない無名でよし」派なので、バズりたい仕事にしたいという願望は一切ない。同好の士と繋がりたいとも思わないので、プラットフォームとしてnoteは選ばなかった。
万一Aさん宛のようなコメントが来たら、Kさん流に「趣味でやってるのにひどい!」と盛大に記事を書けるとよいのだが、実際には弱って何もできないかもしれない。

求められる価値

Aさんが心折られたポストの「求められる価値」について、ポストでも「ゴールドメダリスト」のような分かりやすい例が出ていたが、真っ先に思い浮かべたのは、以前、話題をさらった「ラ・カンパネラ」を弾く漁師の男性だった。

相方に教えられて動画で拝聴したが、お世辞にも上手とは言えなかった。
「ラ・カンパネラ」は難曲ではあるが、これが普通にピアノを弾ける人であれば、たとえ小学生だろうとそこまで注目はされないかもしれない。
だが見るからにピアノと縁のない、武骨な漁師の男性が、「ラ・カンパネラ」を弾くことだけを目標にひたすら努力した結晶という物語が背景にあるから、人々に感動や感銘を与える。

その動画で、彼が弾いていたのはスタインウェイのグランドピアノだった。
正直、実力的にはオーバースペックに感じて妬ましくも羨ましくもあったが、彼には弾くだけの価値がある。
仮に腕は私の方が上だったしても、私にはスタインウェイを与えてもらうだけの価値は残念ながらない。世に問える価値以外にも、コネも実力もない私は自力で手に入れるしかない。
まあ、そもそも誰がスタインウェイを弾こうと、とやかく言われる筋合いはないのだが。

自分が何者かである、何者かになれると思いたいのは誰でも同じだが、Aさんの言葉を借りるなら「実績」は自分でつくるもの、「大ハプニング」に頼らずとも読ませる切り口は自分でつくるもの、実力は身に着けられる。
それでも世に求められることはないかもしれないが、書き続けていくことはできる。時には諦観も必要なのだろう。

件の漁師の男性は、今は「ピアノ愛好家」として講演などを行われているらしい。伊原剛志主演で映画化もされたとか。
最初に拝聴したのは初期の頃の動画だったが、時系列的にだいぶ経ったと思われる講演の際の演奏は、確実に腕が上がっておられて、いろいろな意味で素晴らしいと思った。

いい子ちゃんぶる理由

今回のAさんのやり方に賛同はできないが、お気持ちは理解できる。
自分の場合は、心を折る最後のひと押しをした側だが。

意地悪をしたわけでもなく、きつい言い方をしたわけでもない。押したと思っているのは自分だけで、相手も押されたとは思っていない筈。
だが心が弱っている人は、まったく関係のないひと言で信じられないほど傷つくこともある。そして諦めてしまう。
その結果、お互いに嫌ってもいないのに物理的に友人を失くしてしまい、今は連絡先も知らない。

以来、自分の言動が誰かの背中を押してしまわないように、少々異常なほどに気をつけるようになった。
特にこのブログは犬分野スタートだったので、毒舌部分は封印して、丁寧に明るい文体と内容を心がけていた。
元々は毒を吐くタイプなので(かといって呪詛を撒き散らす裏アカウントなどは持っていないが)、ブログ運営がつまらなくなって、システム上のトラブルなど対処する気も起きず放置気味になった。
「映画・ドラマ日記」などを始めて、少し肩の力が抜けて書きたいように書けるようになったが、それでも万一関係者の目に触れても、傷つけないようにとの配慮は忘れない。というか忘れることができない。

いい子ちゃんぶるのには、もう一つ理由がある。
辛辣な言葉を放っていれば、必ず自分に返ってくるような気がするのだ。「お前もこれだけ書いてるんだから、これくらい非難されても仕方ないだろ」と言われたら、返す言葉がない。
それが嫌で、なるべく感じよく、バランスを考えながら書いている。いわば保身、弾除け。

だからKさんのような記事を読むと、是非はともかく「こっわぁ…」という感想とともに「勇気あるなぁ…」と感心すらしてしまう。それは自分と同じか、それ以上の反応も受けて立つということだから。
Kさんは1日1投稿を実践されているらしく、これと決めたテーマに沿ってさっと書き上げて即投稿するスタイルのようにお見受けしたが、自分に足りないのはこういう強靭さと勢いなのだとも感じる。

間違った情報を発信しないように、ごく一部分を見て断じることのないように、あれこれ調べて何度も推敲して記事を書いてきたが、結局は何か言われないための保身と臆病さによるものが大きかったかもしれない。
Kさんのようにとはいかないし、見習うつもりもないが、もう少しのびのびと、時には勢いで書いてもよいのではないかと思えたのは収穫だった。

というわけで、最初はガッと書いてダッと画像を作成してバッと公開してみたのだが、やはり結局、気になって非表示にしてチマチマ手直しすることになった。
まあ、これも自分の持ち味ということで、今回、Kさん流にいえば「ネタ」になっていただき、刺激を受けて記事を書かせていただいたお二方には感謝している。