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ゴミ

のりまき日記
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発端

SNSに流れた第三者の投稿が元となり、ある物書きの方(仮にAさんとする)が、書くことから一旦離れるという意思表明と、その経緯を記事にされていることを知った。
記事はクリエイター向けのプラットフォーム「note」に掲載されており、元々Aさんはnoteでエッセイを中心とした作品を投稿しつつ、SNSでも発信されていた。

noteのプロフィールには「文筆家」とあり、不確定ながらSNSの情報なども総合すると、どうやらプロとしてのエッセイストを目指してサロン参加やコンテストのエントリーなど精力的に活動されていた模様。
ご本人は2人のお子さんを持つ既婚女性。誕生日や居住地、抑うつによる精神科受診などもオープンにされていた。

件の記事には、ご自身の作品を「ゴミみたい」と評するDMが送られてきたと書かれていた。
「どうでもいいことをこねくり回して、長文にしているだけ」「薄っぺらい内容」と、全文は公開されていないが、もはや辛辣、酷評というより中傷、攻撃の類と思える内容だったようだ。
それでも続けようと思っていたが、ある編集者のポストを目にして心が折れてしまったとのこと。

件のポスト

Aさんの記事に埋め込まれた編集者の方のポストは、商業エッセイの書き手を選ぶにあたっての長文の私見。反論や少々の批判は生まれるだろうが、内容的には問題ないように思われる。
だが、まず「書き手には文章力よりもわかりやすい価値を求められる」というところから、Aさんにはきつかったかもしれない。
そして「noteなどで日常的にエッセイを無料で公開している方の作品を、既存メディア側がわざわざ採用するだろうか」という一文が、突き刺さったのではと思った。
ポストは、メディアでエッセイを書きたい人への助言と激励で締めくくられていたが、もうAさんには届かなかっただろう。

Aさんは「(編集者の方が)悪いわけではない」、「出会ったタイミングが最悪だった」とフォローしつつ「実績がないからこの人のお眼鏡には敵わないんだろうな」と思い、「完全に書く気持ちを奪われ」たと書かれていた。

読者の反応

SNSやご本人の繋がりによる拡散力は大きく、記事を拝読したのは投稿から1日が経過していたが、既に1,100を超える「スキ」と、40以上のコメントがついていた。
コメントはすべて慰めや応援、復帰を待ち望む声が優しい言葉で書き込まれていた。
noteには詳しくないが、元々Aさん個人の人気記事には3桁前半の「スキ」が入り、「今日の注目記事」に選ばれたこともあるようで、普段から読まれている部類なのではないかと思うが、今回の記事は別格と言える。

商業ベースでやっていきたいなら今回の注目度を生かして飛躍するのも悪くはないと思うが、再起不能になるほどの打撃を受けたことも理解できる。ゴミ呼ばわりは流石に酷い。
「ゴミ」という表現に込められる明確な悪意や嫉妬そのものにも、毒されそうである。

埋め込みの是非

ただ、ご自分の断筆に至る経過や心の動きを正確に伝えたいという気持ちがおありだったのかもしれないが、編集者の方のポストそのものを記事内に埋め込んだことについては、個人的には気になった。
Aさんもフォローされてはいたが、彼女の文章だけでは「この編集者と面識のあるAさんがエッセイを書かせてくれと頼んで断られた」等の誤解を招きかねず、十分とは言えないようにも感じた。
コメントを残したお仲間や読者の方たちは、きちんと読み取っている方が殆どだったが、「『編集者』を自称する人は時に商業での目線で物事を決めつける傾向にある」と暗に編集者の方を揶揄し批判に傾いたコメントも見られたし、SNSではもっと露骨な非難も散見した。

今回の件で言えば、編集者の方は完全なとばっちりである。少なくとも悪感情を露わにして心を折りに来た者と同列にすべきではないし、晒すのは控えた方がよかったのではないだろうか。
明らかにするのなら、むしろゴミ呼ばわりしてきたDMの方では?と思った。

既に傷ついて自己評価や自己肯定感が地に落ちている時に、無関係の誰かの言動でとどめを刺されることはままある。その言動が図星だったり、最も言われたくない内容だったりすると、自分に向けて放たれたように感じてしまう。
だがそれを今回のように具体的に指し示してしまうと、その人が矢面に立たされることもある。みなが正確に事態を飲みこみ誠実に反応してくれるとは限らないし、結果的に他者を傷つけたと知るその人も、いたたまれないだろう。

書き手がどこまで気を遣うべきなのか、絶対的な正解はない。
各々に委ねられているのが現状だが、非のない第三者に迷惑がかからないよう心を砕き、読む人には分かりやすく端的に伝えるのが、全世界に発表する物書きとしての矜持ではないかと個人的には考える。

だが編集者の方もリポストや引用、埋め込みで自身の発言が拡散されること、その先の様々な反応は織り込み済みだろうから、基本的には無関係な自分が直接口を出す類いではないと思っているし、Aさんを断じるつもりはない。

最後に

Aさんについては、SNSでは「ナイーヴ過ぎる」というような意見も見られたが、ナイーヴ過ぎるくらいでなければ創作活動はできない面もあるわけで、バランスは難しい。
彼女が今後どうされるか分からないが、まだ手の必要なお子さんもおられるようなので、忙しい日常の中に痛みを溶け込ませながら傷を癒し、そして書いて発表しないことを物足りなく感じるようになり、やはり書くことや繋がることが好きだと再認識できるようになり、やがては書く意欲を取り戻せるようにと願っている。

追記
この記事を投稿してからAさんのnoteを拝見したところ、断筆宣言の5日後に無事復活されており、2本の記事が上がっていた。この間に復職もされている。たぶん彼女は、ご自分で思われるよりもずっと強い方なのだろう。
書いてから推敲しつつ数日寝かせている間に、早々に終息していて少々決まりが悪いが、よかったと思う。