個人的な読書日記です。
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作品情報
タイトル:さまよう刃
著者:東野圭吾
出版社:角川書店
発行:2008年05月
初刊:2004年12月(朝日新聞出版)
ジャンル:推理小説
評価:★★★★☆
登場人物
あらすじ
花火大会に出かけたまま、行方が分からなくなっていた長峰の1人娘、絵摩の遺体が荒川で発見された。
その数日後、謎の密告電話により長峰は犯人の名と居場所を知る。
電話で告げられたアパートの一室に忍び込むと、数十本のビデオテープを発見。その1本には、絵摩が蹂躙される様子が撮影されていた。
そこへ部屋の主、伴崎が帰宅。長峰は思わずアパートにあった包丁で伴崎を殺害してしまう。
伴崎から聞き出した、もう1人の犯人、菅野に復讐するために、長峰は自宅に保管してあった猟銃を持って長野へ向かった。
時を置かず伴崎の死体が発見され、警察もビデオテープの存在に気がつく。
映っている絵摩の姿も織部によって確認され、早くも長峰に容疑がかけられた。
伴崎の交友関係に菅野と誠の名前が挙がり、誠は父親に言い渡され、保身から警察に協力することになった。
織部と真野が話を聞きに行った伴崎と菅野の母親たちは、息子の犯した数々の罪とは向き合おうとせず、息子を庇う姿勢を見せる。
一方、長野県内のペンション『クレセント』を父と共に営む和佳子は、7年ほど前に事故で亡くした1人息子の墓参りに出かけていた。
帰りの車内、カーラジオから伴崎の殺人事件についての続報が流れる。長峰が容疑者であること、長峰が警察に送った自白の手紙のこと、長峰が逃亡中であることなどが放送された。
ペンションに帰ると、父から急な予約が入ったと聞かされる。
その「吉川武雄」と名乗る長髪で無精髭の宿泊客は、長峰が変装した姿だった。
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あらすじ詳細
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捜査を進める織部は、長峰があまりにも早く伴崎にたどり着いたことに微かな疑問を持ちつつあった。
同時に菅野と伴崎のあまりの所業に、長峰を追うことに対する葛藤も感じていた。
長峰と同じように、菅野と伴崎の暴行が原因で娘が自殺したと訴える鮎村の慟哭。
かつて久塚班が担当した、リンチ殺人を起こした高校生たちやその親の手前勝手な態度。
久塚に問われた織部は「自分の本当の気持ちは、長峰さんが復讐を果たせればいいと思っています」と答える。
『クレセント』に逗留しながら、菅野を求めて県内のペンションを探し回るうち、長峰は和佳子と徐々に打ち解けていた。
長峰は復讐への強い気持ちを持ち続ける一方で、果てしない探索と、指名手配犯という立場に疲れてもいた。
そのうち和佳子は、宿泊客の吉川が世間を騒がせている長峰重樹であることを知るが、通報はせず、長峰へ協力を申し出る。
再度かかってきた謎の密告電話によって、長峰が長野県内の廃ペンションを探す中、織部もビデオテープの映像から廃ペンションに行きついた。
同時に長峰の足跡も明らかになり、『クレセント』にも捜査の手が伸びる。
織部らは、菅野が潜伏していると思われる廃ペンションに行きついたが、すんでのところで逃してしまう。
織部らと鉢合わせするところだった長峰と和佳子も、和佳子の父・隆明の苦渋の助言により、辛くも難を逃れた。
再び行方をくらませたものの、逃亡資金も尽きた菅野から誠に電話がかかってくる。
傍聴している刑事に指示され、誠は上野駅で菅野と落ち合う約束をした。
和佳子に後押しされるように、出頭を決心した長峰に、またもや密告電話がかかってくる。
「菅野が今夜8時、上野駅に現れる」「警察もいる。ラストチャンスだ」と告げられ、長峰は和佳子を置き去りに姿を消した。
上野駅に向かうため、誠が刑事とともに車に乗り込むのを鮎村が見ていた。
娘の復讐を誓う鮎村は、記者の小田切にいいように利用されたものの、交換条件に誠の情報を得て誠に接触し、菅野から連絡があれば知らせるよう脅していた。
だが菅野の電話を受けて誠の身動きが取れず、異変を察した鮎村は中井家を張り込んでいたのだった。
上野駅。
警察に連れられた誠が到着した時、カモフラージュした猟銃を背にした長峰も既に付近を歩いていた。
誠は菅野を見つけたが、直前に見かけた鮎村のことが気になり、刑事の指示を失念する。
誠のせいで警察による菅野の特定が遅れ、菅野は鮎村に襲われるが、あっさりかわして逃げ出した。
菅野が駅前で人質をとり、騒ぎになっているところへ、長峰を追ってきた和佳子が遭遇。そこへ銃を構えた長峰が現れた。
人質を放り出し逃げる菅野。
その背中に狙いを定めて長峰が引き金を引こうとした瞬間、和佳子が名前を呼んだことで、発砲が遅れた。
もはや警察の警告など耳に届いていない長峰が、再び狙いを定めた時、やむを得ず織部が発砲した。長峰は即死。菅野は拘束された。
後日。
織部と真野は、事件後に辞職した久塚に会いに行った。
密告電話の主は誠ではなく、事件に関わった警察関係者ではないかと真野は語る。
久塚は「警察は市民を守っているわけじゃない。守っているのは完璧ではない法律である。そのために人の心を踏みにじってもいいのか」と傍白した。
そして「これからも正義とは何か、答えを探し続ける」と話を終えるのだった。
感想
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この作品は、好きな俳優が出演していたので、WOWOWのドラマを最初に観た。
そして映画と原作があることを知り、寺尾版、韓国版と観終わってから、文庫を手に入れた。
本作は2004年に初刊、2008年に文庫化された。
作者の小説家デビューが1985年なので、2023年時点でちょうど折り返し地点、作者が40代半ばの刊行となる。
のっけから、拉致に至るまでの胸が悪くなるような描写が続く。
現実に菅野や伴崎のような奴らがいるのだとしたら怖いなと、まず思った。
いくら少年であっても、こんな後先を考えない蛮行を繰り返して、露見しないとでも考えているのだろうか。
ただ馬鹿は馬鹿なりに保身はするようで、本人たちの悪趣味も兼ねているのだろう、暴行の一部始終を撮影するという、被害者にとっては二次被害となる手段を取っている。
絵摩の暴行シーンもさることながら、長峰による伴崎殺害の場面もなかなかにハードである。
菅野と伴崎が反吐の出る人物であることは疑いようがないが、私は中井誠に対して最も侮蔑を感じた。
高校もアルバイトも続かない根性なしの上に主体性もないのだから、せめて大人しくしていればよいものを、わざわざクズ中のクズたちとつるんで、いいように使い走りをさせられている。
浅はかな癖に親の言うことも聞かず、勝手に判断して捜査をかき回す。
「この馬鹿が」と、読みながら何度舌打ちしたかしれない。
ただ身から出た錆とはいえ、誠の気持ちも解るような気もする。
もっと言えば、誠や菅野たちの親や、久塚が担当したリンチ殺人の高校生たちと、その親の気持ちも、である。
第三者もしくは被害者や被害者遺族の立場であれば、「ひたすら被害者のために心から反省して謝罪すべき」という真っ当な意見が是とされる。
だが、自分が加害者や加害者の身内となった場合でも、同じ意見が言えるものだろうか。
私には自信がない。
隠し果せるものなら、どこまでも誤魔化して罪に問われないようにしたいと、絶対に思わないとは言い切れない。
流石になるとしたら加害者家族だと思うが、申し訳ないが、重大さを認識してなお、被害者よりも、面倒ごとに巻き込まれた自分のために嘆くかもしれない。
加害者が自分にとって大切な身内であれば、徹底的に隠蔽し庇うかもしれない。
逆に言えば、加害者や加害者家族とはそういうものである筈だ。だから司法制度が存在している、とは暴論だろうか。
特に誠は、菅野とは切っても切れないところにまで来ていた。
捕まっても少年法に守られ、すぐに出てくるであろうモンスターから身を護るのが最優先。どうせ警察は逮捕すれば終わり。責任なんて取ってくれない。
基本的には自業自得だし、やり方も稚拙で頭が悪いが、その恐怖は理解できる。
自分が直接手を下したわけでもない女の子と、その父親に義理立てはできないだろう。
それに誠の情報を、受けとった側が一般的な正しさで使っていたなら、結果はずいぶん違っていた筈なのだから、誠ばかりを責める気にはなれない。
実は本作で、私がいちばん気分が悪くなったのは、作者である東野圭吾に対してである。
他の多くの作品にも共通しているが、個人的に東野作品は作者のフィルターをあまり感じない。
どんなに凄惨な内容でも、淡々と緻密に書き進められていく。
そしてその視点は、私からすると無慈悲なほどに冷たい。
本作では、娘を亡くした鮎村がいい例だった。
こんなことに巻き込まれずにいれば、ごく普通のちょっとダサめのおじさん、といった風の鮎村が、記者に利用され、刑事に嗤われ、会社でも噂され、息が生臭くなるほど追い詰められる。
娘の仇を討とうとしたのに、返り討ちのような醜態を晒し、得物を菅野に奪われ、警察からも「馬鹿野郎」呼ばわり。
体のいい道化を演じさせた作者の筆には、容赦がない。
常々、東野作品を読みながら「この人、小説の才能に恵まれまくったサイコパスではないか」と思っているが、本作でもそう強く感じさせられた。
ところで、タイトルの『さまよう刃』とは、作品の最終盤で、菅野を長峰から守ることに葛藤を感じる織部が発する「正義の刃」であるとされている。
久塚が言及し、本の内容説明やカバーにもあるように「正義とは何か」ということを比喩しているのだというのが、大方の見解のようだ。
勿論そうであるとは思うが、もっと様々な刃が作品には隠れているようにも考えられる。
長峰も「焦燥感と孤独感と共に復讐への道をさまよっている」とある。長峰自身が「さまよう刃」であるし、正義とは、正義の刃を振るう自分たちとは何かを考え、使命とのいわば板挟みになる織部も、ある意味さまよっている。
菅野や伴崎に至っては、抜き身のなまくらである。「抜き身」という言葉には「むきだしの男根」という意味もあるので、ぴったりではないだろうか。
刃ではないが、和佳子にしても「何か確固たる信念みたいなものが」あるわけでもないのに、「なぜかほうっておけない」と、迷いつつも信じられないほどに長峰に関わる。
そういえば、WOWOWドラマでは「木島和佳子」と旧姓に戻っている和佳子だが、本作では離婚した夫の丹沢姓を名乗っている。
作者の単純なミスとも思えないので、そこにはひっそりと意味が隠れているのだろう。
幸福だった結婚生活と、亡き息子への思いが名乗らせているのだろうかと、殺伐としたストーリーの中で、ほんのりと救いを感じた。
最後に、「それを言っちゃあお終いよ」なのだが、長峰はなぜよりによって猟銃を持ち出したのだろう。
愛着のある品だとしても、いくら何でも猟銃はないではないか。重いしかさばるし目立つ。
指名手配されている逃亡犯にとっては手に余る。
これがサバイバルナイフであれば、警察が気づく前に本懐が遂げられたかもしれない。
わざわざ銃を構えて狙いをつけたりするから、織部に撃たれる羽目になるのだ。
その時は死への恐怖を感じたかもしれない菅野も、喉元過ぎればクズに戻り、長峰を嘲笑い、世の中を舐めて暴力で渡っていくのだろう。
元々腐りきった者が、たかが数年で更生などする筈もなく、腐った少年は腐ったまま大人になるのだ。
ひと太刀も浴びせることなく犬死にした長峰は、愚かで、哀れである。
おそらく読者が最も見たかったであろう、どういう形でも報いを受ける菅野を描くことなく、長峰だけを死なせた東野圭吾の筆に、今回も薄ら寒さをおぼえた。
ちなみに、文庫本のカバーは従来の芝生と夕陽の射す林のバージョンがよかったのだが、WOWOWドラマのキャストが並ぶカバーしかなかったので、仕方なく購入した。
ふと思いついてめくってみると、カバーは二枚重ねになっており、従来のカバーが下にかけられていたので嬉しかった。
ただドラマ版カバーも捨てるには忍びなく、そのままになっている。