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4月8日は「忠犬ハチ公の日」

わんこ雑記
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4月8日は「忠犬ハチ公の日」です。
渋谷駅で主人を待ち続けた犬として、世界的にも有名な犬ですが、あまり知られていないエピソードなどご紹介します。

なぜ4月8日なの?

晩年のハチ

忠犬ハチ公の銅像が1934年のこの日(4月21日ともされています)に建てられたことにちなみ、「忠犬ハチ公銅像及び秋田犬群像維持会」が制定した記念日です。

ハチの命日は3月8日ですが、一説には「まだ雪が積もって寒いから」という理由で、1ヶ月後の4月8日になったという説もあります。

ハチの誕生日や命日とは関係がない日ですが、1936年(昭和11年)から毎年、この日に慰霊祭が行われています。

ハチと上野博士の出会い

秋田犬のハチは、1923年(大正12年)11月10日、秋田県北秋田郡二井田村(現在の大館市)に、8頭の兄弟で生まれました。

秋田犬についてはこちらでご紹介しています。

ハチの飼い主となった上野英三郎氏(1872年~1925年)は、東京帝国大学農学部で教授を務める農学博士で、大変な愛犬家でした。
ハチは生後2か月足らずで、米俵に入れられて急行列車に乗せられ、20時間をかけて上野博士の元にやってきました。

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上野博士との生活

東京府豊多摩郡渋谷町大向(現在の東京都渋谷区松濤一丁目)にある上野邸には、「ジョン」と「エス (S)」という2頭の先住犬がおり、特にポインターのジョンはハチの面倒見がよかったそうです。

ハチは、玄関先や門の前で上野博士を必ず見送り、最寄り駅の渋谷駅まで送り迎えすることもありました。

上野博士との別離

ハチが上野博士に飼われて1年4か月が経った1925年(大正14年)5月21日、上野博士は脳溢血により53歳で急死。
ハチは3日間、何も食べなかったと言われます。
また通夜が行われた日も、ハチはジョンやSとともに、渋谷駅まで主人を迎えに行っています。

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上野博士の死後

昭和8年(1933)頃の渋谷駅 http://news2plus.blog123.fc2.comblog-entry-538.html

上野博士の死後、ハチは日本橋伝馬町や浅草など、色々なところに移りましたが、1927年(昭和2年)秋に代々木に住む小林菊三郎氏が預かることになりました。
小林氏は上野邸に出入りしていた植木職人で、ハチを幼い頃から可愛がっていました。

ハチは小林氏から大切に飼われていましたが、毎日渋谷駅に出かけ、食事のために小林宅に戻り、また渋谷駅に行くという生活をしていました。
ハチが渋谷駅に行く時には、必ず小林宅から少し離れたところにある旧上野邸に寄り、窓から中を覗いていたといいます。

相方
相方

ハチは博士の死後も、ずっと同じ家にいて、そこから渋谷駅に通ったんだと思ってた

のりまき
のりまき

実際は預け先を何度か替わってて、遠くからでも渋谷駅に行くハチを見かねて、小林さんが引き取ったらしいよ

ハチの受難

シブヤ経済新聞

渋谷駅で主人を待つハチは、最初から人々から歓迎されていたわけではありませんでした。
渋谷駅にいる間、通行人や商売人からしばしば暴力を受けたり、子供からいたずらをされたりもしていたそうです。

野犬狩り

当時、犬は安産の象徴とされており、ハチの着けている首輪や胴輪が「お守り」としてよく盗まれていました。
またハチは白い犬でしたが、毎日渋谷駅に通っていたため汚れてしまったこともあり、よく野犬と間違われて何度も捕まっていました。
ハチは逃げるのが遅かったので、簡単に捕まっていましたが、その度に毎日ハチを見ていた交番の警察官に助けてもらい、命拾いしています。

左耳の負傷

ハチは人懐こく、おとなしい性格で、吠えたり咬みついたりしたことはありませんでしたが、野犬に襲われたことがあり、左耳を負傷しました。
ハチの晩年の写真では、左耳が垂れていますが、これはその時の傷が元で、生まれつきのものではありません。

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ハチの転機

周囲からあまり大切にされていたとは言い難いハチですが、転機が訪れます。

渋谷駅に通うハチのことを知っていた日本犬保存会初代会長・斎藤弘吉氏が、1932年(昭和7年)、渋谷駅周辺で邪険に扱われているハチを哀れみ、ハチの事を『東京朝日新聞』に寄稿。
「いとしや老犬物語」というタイトルで掲載され、人々の胸を打ちました。

ハチについては翌1933年(昭和8年)にも新聞報道され、さらに広く知られるようになりました。
有名になったハチは「ハチ公」と呼ばれ、かわいがられ大切にされるようになり、渋谷駅での寝起きも許されるようになりました。
当時の渋谷駅職員が記していた「忠犬ハチ公記録」によると、渋谷駅の駅員の中には、ハチの面倒をみる「世話役」という係があったそうです。

ハチの最期

白根記念渋谷区郷土博物館

上野博士が亡くなって10年近くが経った1935年(昭和10年)3月8日午前6時過ぎ、ハチは渋谷川にかかる稲荷橋近くの路地で、死んでいるのが見つかりました。
11歳3か月の犬生でした。

ハチが倒れていたのは、普段ハチが行かない場所だったことから「お世話になった人たちに最後の挨拶をしに行ったのではないか」という説があります。

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ハチの死後

「忠犬ハチ公」の墓碑(2019年3月21日撮影)

ハチの死後、12日に渋谷駅で告別式が行われ、上野博士の妻や小林夫妻、駅や町内の人々など多数が参列しました。

ハチの遺骸は剥製にされ、現在は東京・上野の国立科学博物館に所蔵されています。
遺骨は骨格標本にされましたが、1945年(昭和20年)5月25日の東京大空襲(山の手大空襲)によって焼失しました。

青山霊園にある上野博士のお墓の傍らに、小さな祠があり、そこにハチが眠っています。

ハチの死因

ハチの遺骸は、東京帝国大学農学部で病理解剖されました。
ハチの心臓と肝臓には大量のフィラリアが寄生し、腹水がたまっていました。
胃からは焼き鳥の串が数本見つかっていますが、胃壁に刺さってはいませんでした。
これら内臓はホルマリン保存されました。

2010年(平成22年)、精密検査が行われ、心臓に重度の浸潤性癌が、肺に転移性の癌があることが確認されました。
犬フィラリア症は中程度だったため、直接の死因は癌ではないかと考えられています。

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焼き鳥目当て?

実は、ハチが渋谷駅に通っていたのは、駅前の屋台でもらえる焼き鳥が目当てだったという説もあります。
生前のハチを実際に見ている鉄道紀行作家、宮脇俊三氏によると、1933年(昭和8年)当時からハチは駅周辺の人々から与えられる餌を目当てにしているという噂も立っていました。

上野博士の通勤に関係のない時間帯に、ハチが駅近くをぶらぶらしているところも目撃されていたため、この習慣を知らない駅員が忠犬とカン違いしたのではないかという推測もされています。

反論

実際のハチには、異論とは合致しない行動が知られています。

・ハチが渋谷駅に通う日課は正確で、朝9時に小林宅を出て、しばらくすると戻る。次は午後4時に出かけ、午後5時から6時頃に戻る。
これは上野博士の通勤時間と同じである。

・食べ物がもらえるようになったのは駅に通っていた9年間のうち、報道されて有名になった最後の2年間のみ。
それまでは駅周辺の人々から邪険に扱われていた。

・ハチがいたのは駅前の屋台の近くではなく、上野博士が出てくる改札口に接する小荷物窓口の近くである。

・ハチの鼻先にパンを置く人がいても、ハチは横になったまま眺めるだけで、あまり食べようとしなかった。

相方
相方

焼き鳥が目当てだったってトリビア的に聞いた時は「ハチもやっぱり犬だな~」と思ったけどね

相方
相方

あいつを飼ってから、犬に対する幻想はなくなったし(チラッ)

のりまき
のりまき

そりゃもらえたら食べるだろうけど、それだけじゃない根拠もあるから、これだけ有名になったんじゃないかな?

のりまき
のりまき

何にせよ「亡くなった飼い主を待ってた」でいいじゃない

あず
あず

ヤボは言いっこなし♥

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ハチの銅像

当初の銅像

ハチ公一周忌の様子。写る銅像は初代忠犬ハチ公像。

1934年(昭和9年)4月21日、帝展彫刻審査委員も務める彫塑家・安藤照氏によりハチの銅像が作られ、ハチが上野博士を待っていた場所近くに設置されました。
ハチも除幕式に出席しました。

その銅像は残念ながら、第二次世界大戦の際に、日本犬保存会初代会長・斎藤弘吉氏らの強い反対にもかかわらず金属供出され、終戦の前日に溶解されてしまいました。
溶解されたハチ公像は機関車の部品となり、東海道線を走ることになりました。

のりまき
のりまき

戦争が終わるまで別の所に保管するという事で、表向きは「撤去」という扱いで決着がついていたのに、溶解されちゃったんだよね…

相方
相方

でも庶民の金属製品まで供出されていた時代に、最後まで残されていたなんて、大切にされていたんだね

現在の銅像

現在のハチ公像(2014年)

初代の銅像を制作した安藤照氏は東京大空襲で亡くなりましたが、その子息である安藤士氏によって、終戦から3年後の1948年(昭和23年)8月に再建されました。
戦後の物資不足により、安藤士氏は父の遺作を熔かして新たなハチ公像を鋳造しています。

敗戦後の日本は連合国軍の占領下にありましたが、忠犬ハチ公の物語は戦前に既に欧米に紹介されており、感銘を受けていた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の愛犬家有志が、再建にあたり有形無形の支援を行ったと伝えられています。

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渋谷駅以外のハチ公像

秋田県大館市

大館駅前のハチ公像

1935年(昭和10年)7月、ハチの生まれた大館市の大館駅前に東京・渋谷のハチ公像と同じ型で作られた銅像が設置されました。
この像も戦中の金属供出により失われましたが、1987年(昭和62年)11月14日に再建・序幕されました。
晩年のハチをモデルとした、左耳が垂れた姿の渋谷のハチ公像とは異なり、両耳とも直立しているのが特徴です。
大館駅構内には、「JRハチ公神社」も建てられています。

三重県津市

久居駅前に設置されている上野英三郎とハチ公像

上野博士の生誕地である三重県津市久居地域では、2012年(平成24年)10月に久居駅東口に、上野博士とハチが一対になった銅像が設置されました。

東京都文京区本郷

2015年(平成27年)3月8日、ハチの80回目の命日を記念して、東京大学本郷地区の農学部キャンパス(弥生キャンパス)に、上田勉氏による上野博士とハチが一対になった銅像が完成しています。

のりまき
のりまき

私は東大の銅像がいちばん好き!

相方
相方

ハチがすごく嬉しそうな、いい表情をしているよね

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ハチの映画

『あるぷす大将』

1934年(昭和9年)、吉川英治の長編小説を原作とする映画『あるぷす大将』にハチが出演。

『ハチ公物語』

『ハチ公物語』-Netflix

1987年(昭和62年)公開。出演:仲代達矢、八千草薫、柳葉敏郎

『HACHI 約束の犬』

『HACHI 約束の犬』-映画.com

原題: Hachi: A Dog’s Tale
2007年(平成19年)公開。出演:リチャード・ギア(北大路欣也)、ジョアン・アレン(真矢みき)
『ハチ公物語』のリメイク作品。日本では2009年(平成21年)8月8日に全国劇場公開された。
監督はラッセ・ハルストレム。『僕のワンダフル・ライフ A Dog’s Purpose』 (2017)や『ギルバート・グレイプ What’s Eating Gilbert Grape』 (1993)などを手がける。